音楽は、オールバリアフリー。

2021年07月03日 20:16

皆さんこんにちは!

鎌ケ谷駅から徒歩5分。
飯生音楽教室の講師、飯生優子です。

あっという間に7月を迎えてしまいました。

今日もたくさんの生徒さんにレッスンしていましたが、子どもの課題曲に日付を記入する際、うっかり6(月)と書いてしまい、生徒さんにびしっとツッコミをいただきました笑。


当教室は、最低限の礼儀やマナー、距離を取りながらも、和気あいあいと、のびのびレッスンを受けられるように配慮しております。

そのため、「うちの子は大人しくて。。。」なんていう親御さんの心配も杞憂で終わるような^^


とにかく心を開いて音楽を楽しんでくれる生徒さんが沢山います。

それは、老若男女問わずです。




お教室によっては、配慮が必要な生徒さんは断ってしまったり、年齢を限定したり、あるいは練習をしてこないときつく叱ったり、、、、当教室にも、他のお教室から様々な理由で流れてきた生徒さんが、少なくありません。
あまり同業者の方を悪く言いたくはありませんが、資格がなくても出来てしまう職業であるため、肩書は立派(資産さえあれば得られてしまうような、、、)でも、ふたを開けてみたら、、、という話は珍しくありません。

特に、心理や発達、特別支援、音楽以外の芸術全般など、大学だけでは学びきれない、しかし指導者として知っておくべき学問分野が多くあるのですが、、、(私はもともと他分野においての好奇心や、大学の授業にないものは自分で、、、という意識が高かったので、足りないと感じる部分は、読書やその道のスペシャリストに話を伺ったりすることで補填してきました)。

まぁ『音楽だけ教えていればいいや』という考えも、責任という上では指導者ごとのレベルによるので、出来ないことを『出来ます』と無責任に受けて、不適切な対応をしてしまうよりはずっといいとは思います(;^_^A



さて、タイトルにもあるように、今回のエデュケーションノートは、『音楽のバリアフリーについて』です。


私が教職をしていたころ、小学校の3年生から6年生まで、毎年およそ400人の子どもたちを指導していました。
たったの週2コマずつの授業ですが、全員の名前を憶えていましたし、誰一人、同じ子はおらず、特に一人で歌ったり楽器を演奏すると、教えている人は私一人なのに、みんな違う個性が出ることが、とても興味深かったです。
良いことも辛いことも含めて、音楽を通じた付き合いを築けたと思っています。

『ダメな子』なんて、一人もいませんでした。
何となく教室がざわざわしていても、私が前奏を弾き始めると、不思議と教室は穏やかになり、自然に子どもたちは歌いだします。

普段の生活でも、CMソングや耳に残りやすい曲があると、自然とリズムを刻んだり、鼻歌を歌ったり、という経験が、大人の方でもあると思います。


少し話題が変わりますが、私がチェコに留学した際、チェコの民族楽器の演奏家と会う機会がありました。
チェコの民族楽器または民族音楽といってもピンと来ないかもしれませんね。

基本的には、ジプシーヴァイオリンやツィンバロン、アコーディオンなどを使っています。
とくにツィンバロンは、現地で初めて目にして、日本の筝をバチで叩くような、とても不思議な作りをしていました。
そして、ぜひ叩いてみたいとお願いすると、快く演奏させてもらえました。
身に付けるには時間がかかりそうでしたが、音階の並びなどはピアノと似ていたので、簡単な曲『さくらさくら』など^^
思いつくままに叩いていたら、奏者が『あっという間に演奏出来てすごいね!うちでバイトしない?』なんて言われたり( ´艸`)
『交通費高くつくけど、出してくれるなら是非^^』などと冗談を言い合っていました。

音楽を学ぶって、どういうことでしょうか???


時々、クラシック音楽至上主義な方がいたりしますね。指導者にも習い手にも。

私も、かつてそういう時代がありました。(実際に私自身が学んだのもクラシック音楽ですので、教室でもメインのジャンルにはなっています)

しかし、これまでの半生で、教職に就いたことや、チェコでの経験によって、その価値観はまるで覆されました。

伝統を継承していく重要性を否定するつもりはありません。
そして、バッハやモーツァルトの時代は、音楽は教会のものであり、貴族のものでした。


しかし、当時を想像してみましょう。今でこそ、250年以上前のモーツァルトは当時の時代の最先端だったわけで、それまでの格調高い文化を、一気に一般市民にも楽しめるような、痛烈に貴族たちを皮肉った作品が沢山あります。よく怒りを買って処刑されなかったと思います(笑)フランス革命と時代もそう変わらないので、絶対君主制の不条理さや、民衆心理も肌で感じていたことでしょう。


ただ、それでも、決して作品に手を抜いたりしていない、無駄な音が一つもなく、また、すべての音に意味がある、そんな音楽が書けるのが、モーツァルトの天才たる所以だと思います。


私は一番好きな作曲家はブラームスなのですが(もはやちょっとオタクです笑)、天才の作曲家はだれかと問われれば、私はモーツァルトと答える気がしています。


そんなモーツァルトが『音楽』を通して目指していたものは、すべての人間が平等で、愛を受ける権利があって、肌の色も、価値観も、死生観も、すべてにおいて尊厳を持つことが出来るということだと思っています。特にそれは彼のオペラ作品が一番わかりやすい例でしょう。『魔笛』というオペラがあります。ぜひ、あらすじを知っていただいた上で、観ていただきたい作品です。

チェコでは毎日のように、国民劇場に足を運び、様々な作品を見ました。チケット代も安く、TシャツとGパンで見に来ている10代男子や、いかにもその辺でアルバイトした帰りです~みたいな若い女の子など、『敷居がない』という言葉にふさわしいものでした。
終演後、お手洗いに並んでいたら、現地の方と目が合って会釈してくれたり、その日のオペラの一節を口ずさみながら帰る女の子もいました。


どうして日本は敷居を高くしてしまうのか、、、

ここに詳しくは書きませんが、私の中では答えは出ています。


なので、その信念に基づいて、私が出来うる範囲で、できるだけ多くの人たちに、音楽を心から楽しんでもらいたい。そう思っています。

その上で、抜けの無い『基礎基本』を、徹底して身に付けて貰えるように知恵を絞っています。
義務感にならず、だけど、納得したうえで、丁寧に演奏する。音楽に愛情を持てば、音楽からも愛されます。


進度は速くなくても、音楽の『真理』が理解できたときに、うんと伸びていくと思います。
人と比べる必要はありません。


小さい子がちょっと音を外しながらも楽しそうに歌っている姿を見て、不愉快になるでしょうか、、、?(もし不愉快になるなら、かなりお疲れかもしれません)
高齢者施設に慰問演奏に行く際も、入居者の方たちが慣れ親しんだ曲を演奏すると、心から喜んでもらえます。


ぜひ、心の底から音楽を楽しんでいきましょう。
聴くのが楽しい曲、演奏するのが楽しい曲、、、、言葉は必要ありません。

国境も、身体の特徴も、学業の良し悪しも、音楽を前にしたらすべて吹き飛びます。


もちろん、世界には難しい問題を抱えた国々がままありますが、せめてここ日本では、音楽は常にバリアフリーであってほしいと思っています。

演奏者も聴き手も気取らずに、人生を豊かに、そして心が温かくなるような、そんな音楽が、世界に溢れていきますように。。。。





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